グアテマラのデモンストレーション

随想

アティトラン湖に滞在してから一ヶ月が経とうとしている。

僕がサン・ペドロ・ラ・ラグーナに入った翌日にグアテマラ全域でデモが起こった。

9月に行われた大統領選挙の結果、新しい大統領が選出され、来年一月からグアテマラで政権交代が行われる。

どうやらその選挙に端を発したデモらしい。

そのおかげでアティトラン湖周辺の主要道路が民間の団体や学生団体によって封鎖されており、他の街に移動できない状態が続いている。

すぐに終わるだろうと甘く見ていると気が付けばデモが始まって一ヵ月が経とうとしている。

本来二週間ほどの滞在でアティトラン湖を後にする予定が一ヵ月になってしまった。

その間、サンペドロとパナハッチェルの二つの町に滞在した。

それはそれでよかったと思うが、一ヵ月も滞在するとさすがにやることが無くなる。

朝七時に起きて、八時に朝食をとり(朝食付きのドミトリーに滞在している)スペイン語の勉強を二時間ほどし、その後、町をぶらつく。

十二時過ぎになると、お腹が空いてくるので気分に合わせていくつかある安いローカルフードを頬張る。

昼食が終わると一旦宿に帰り、YouTubeを見て時間を過ごす。

四時ごろになると宿の目の前のカフェでカプチーノを注文し、飲み終わるとそのまま湖畔を散歩する。

その足で宿に帰り、五時半ごろからメルカドで買っておいた野菜や肉たちを使って夕食の準備を始める。

夕食の後、風呂に入り、その後YouTubeを見て時間を潰し、夜十時ごろ布団に入る。

もう見るYouTubeが無くなってしまった。

別に居心地が悪いわけではないから、滞在することに苦痛を感じるわけではない。

しかし、いつ封鎖が解けるのかわからないことが何よりのストレスだ。

町に出ては店員や警察にいつデモが終わるのかと聞いてみる。

当然、そんなこと誰にもわかるわけがない。それでも、一応の予測を聞いてみる。

しかし、一ヵ月はかかるという人もいれば、あと一週間で終わるという人もいる。

やはり聞いた僕が間違っている。

それでも二週間目を過ぎたあたりから、徐々に街ごとに封鎖が解け始めた。

アティトラン湖からアンティグアやグアテマラシティー行きのシャトルバスはなんとか通れるようになった。

そして日を増すごとに他の街も封鎖が解け始めた。

しかし、なぜかアティトラン湖周辺の主要道路だけが封鎖された状態が続いている。

するとある不安が頭をよぎる。

このまま、このアティトラン湖周辺だけは問題が解決するまで道は開かれないのではないか。

そうであるならばこういった政治の問題の解決は難しいだろう。日本でも同じだが、あいまいなまま問題が消えていくだけだ。それは時間がかかるだろう。

この先の長い旅を思うとここで持ち金を減らすわけにはいかない。

早くこの町を出なければ。

そう思うと同時になぜだかわからないが心のどこかで違和感を感じていた。

僕はあちこちのツアー会社に聞いて周った。

どうにかしてサンクリストバルに行くことはできないか?

サンクリストバルとはメキシコのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスのことでグアテマラとメキシコの国境近くの街だ。

もともとアティトラン湖の町でゆっくりした後サンクリストバルに行こうと思っていたのだ。

しかしツアー会社は口をそろえて言う。

ここからサンクリストバルに行く道路がずっと閉鎖されているんだ。

しかし何件目かに行ったあるツアー会社が、明日ならいけるかもしれないと言う。

明日とは日曜日のことだった。

どうやら、今週から週末限定で主要道路の閉鎖を解除しているらしいのだ。

しかし僕はすでに来週の火曜日まで宿を予約していた。

火曜ではダメですか?

アミーゴ、残念ながら週末しか道路が解放されていないんだ。

僕は二日分の宿泊費を無駄にしてまで行くべきか迷った末、今回は見送ることにした。

では来週末は可能か? そう質問すると

来週末も開放しているかわからないが開放しているなら可能だろうという返答だった。

であるならば、急ぐ必要はない。いつ出られるかわからないストレスは解消されたのだ。

早速、宿に戻り宿泊の延長を申し込んだ。来週の土曜まで。

またしても心のどこかでわからない違和感を感じていた。

僕が滞在していた宿は二十人部屋のドミトリーだがオフシーズンとデモが重なり宿泊客はまばらだった。大きな部屋を二人か三人でシェアしていた。

大体の宿泊客は一日か二日で去っていくが僕だけはすでに一週間ほど滞在していた。

宿のオーナーも親切で、延長すると少し安く泊まらせてくれた。

その宿は家族で経営していて、三兄妹が部屋やトイレの掃除、洗濯を担当している。

いつも楽しそうに仕事をしている姿を見ていると心が和む。

特に深い会話をするわけではないが、最初は素っ気なかった彼らも、いつしか目が合えば互いに微笑んで挨拶を交わすようになった。

とても居心地のいいホステルだ。

このままここで金が尽きるまで沈没するのもの悪くないのかな

一瞬そう思う自分がいた。

それから数日後の木曜日だったか、そろそろサンクリストバル行のチケットを買っておくかとツアー会社に出向き、土曜日発のチケットを予約したいのだがと言うと

アミーゴ、週末はシャトルバスの運行がないんだ。

その時まで忘れていたが、そういえばサンクリストバル方面のシャトルバスは平日のみの運行なのだ。

それにしても先週は道路が解放されていれば可能だと言っていたではないか。そう言うと

先週と今週では状況が違うんだ、アミーゴ。

それに加え、今は別のルートで行くしかないから少し高くなるという。

どれぐらいになりそう?

600ケツァールだ。

600? 日本円にすると1万2000円弱だ。普通なら350ケツァールで行けるところをなぜそんなに払わなければならないのか。

僕は吹っ掛けてきているなと勘繰り、他を当たることにした。

が、どこも同じように平日のみの運行と600ケツァールでしか行けないという。

それでも僕はバスの移動で600ケツァールなど払いたくなかった。

また、いつ出られるかわからないストレスが再発した。

宿に帰って、何かいい手段はないかと考えた。

週末は主要道路が解放されている。ということはメキシコ方面で他の街に移れないか?

するとシェラという街が頭に浮かんだ。

シェラとはグアテマラの第二の都市でケツァルテナンゴと呼ばれる都市だ。しかもアティトラン湖から約二時間半で行けるのだ。

シェラなら公共のバスがここからダイレクトで出ている。料金も20ケツァールで行ける。

それに、すべてローカルバスを利用し、シェラから他の街を経由して国境を通過し、サンクリストバルに行くルートの方が面白いのではないか。

そう思うとわざわざ移動費のために600ケツァール支払うことなどもう選択肢から消えていた。

しかし、この状況で週末しか開かれていない道路を運行するのか? それが疑問だった。

民間のシャトルバスならともかく、公共のローカルバスが運行するのは難しいのではないか。

すぐさま宿のオーナーに今週末はシェラ行きのローカルバスは出ているかと聞いた。

すると、出ているという。

それは確実か?

もちろん。シェラのガソリンスタンドの前から出ているよ、道が開かれているならね、でも道が開かれているかどうかは金曜になってみないとわからない。

そうか、まだ道が開かれるかどうかわからないのだ。

いつ終わるのかわからないデモのストレスが僕の思考を停止させた。

またシャトルバスとローカルバスで迷い始めた。

金曜日、あるツアー会社に立ち寄った。

たまたま通りかかった、初めて見るツアー会社だった。

念のためサンクリストバル行の値段を聞いてみようと思い立ち寄ったのだ。

すると、450ケツァールで行けるという。

僕は本当に450かと聞き返した。

もちろんだ、アミーゴ。でも一番早くて月曜だけどいいかい?

他のツアー会社はこぞって600という中でここだけ450で行ける。

今思うと僕は本当に思考が止まっていたのだと思う。

もちろんだ、アミーゴ。と気分よくそう返答した。

この450という数字、他より150ケツァール少ないその数字に誘惑され、すぐさま代金を支払い契約してしまった。

これが間違いだったと気づくのにそんなに時間はかからなかった。

この時点で金曜日の正午だ。

僕はチケットを買えたことと、やっとストレスから解放されることでとても満足していた。

宿に帰り、月曜まで延泊を申し込んだ。

あと今日を入れて三日。これで本当に最後の滞在になる。

そう思った瞬間、僕はこれまで時折心のどこかで感じていた違和感の正体に気づいた。

それはこのアティトラン湖から離れるという淋しさだった。

世界一の湖と謳われるアティトラン湖の景観はもちろん、こののんびりとした雰囲気もそうだ。

サンペドロでいつもすれ違うたびに、ブエノスディアス、アミーゴとあいさつを交わしてくれたあの道端でアクセサリーを売りながら乳児に乳を吸わせている頭の変形したお姉さん。

いつも暇そうにスマートフォンを眺めているパナハッチェルのカフェの店員。そしてここのホステルのオーナー家族。

アティトラン湖を離れるということはここで感じ得た小さな幸福を手放すということだ。

僕はこの先の長い旅のことを思った。

旅をするということはこういう淋しさの体験の連続なのかもしれない。

早くここから出たいという焦りとは矛盾していて、なんだか自分でも整理がつかないが、これがあの違和感の正体なのだ。

それでもやはり留まることは考えなかった。

いつか金は尽きる、その時は日本に帰らなければならない。

それが長ければ長いほど余計に淋しさが増していくだけだ。

延泊の支払いを終えると少し宿で休憩して湖畔を散歩することにした。

途中、警察官の二人組が立っていた。

僕はその二人に尋ねた。

明日、道路は解放されているか?

すると警察官の口から信じられない言葉が発せられた。

ああ、今日の18時にすべての道路が解放される。

え、どういうことですか?

今日の午後6時でデモが終わるということだ。

本当に?

もちろんだ。

僕は腕時計を見て時間を確認した。午後3時前だった。

今日の18時まで待てば通常の350ケツァールでサンクリストバルまで行くか、ローカルバスで他の街を経由しながら行くか選べたのだ。

僕はなんでこうも先が見えないのだろうか。

すぐさまさっきチケットを買ったツアー会社に戻った。チケットをキャンセルするためだ。

しかし、一度買ったチケットをキャンセルすることはできなかった。

なぜ明日まで待てなかったのか。どうせ月曜出発なのだから今日買おうが明日買おうが同じではないか。

なぜこうなってしまったのか過去の考えをなぞった。

明日もし道路が開かれなかったら、いつ出られるかわからないストレスが継続され蓄積される、それなら少し高くなるがシャトルバスで他の街に行った方がいいのではないか。ローカルバスで国境を超えるというルートも面白いが、それなら他の国でもできるだろう。

それと実はもう一つその場で代金を支払った言い訳がある

先週、宿を延長する前にあるツアー会社でサンクリストバル行の値段を聞いていた。

その時、明日出発するなら450ケツァールで行けると提示してきた。

その明日とはちょうど最初に宿を予約した最終日でタイミング的には申し分なかった。

しかし僕はてっきり350ケツァールで行けるものだとばかり思っていたから、450なら行きたくないと断った。

その数日後またそのツアー会社に行き値段を聞いてみると600ケツァールまで値上がりしていたのだ。

大体、アティトラン湖では町ごとに相場が決まっている。しかし、こういうイレギュラーな状況ではそれぞれのツアー会社が独自で値段を決めるようだ。

そういうことも重なって買ってしまったということだ。

いずれにしてももう買ってしまったものはしょうがない。

100ケツァールの違いなどどうってことはない。日本円で2000円弱だ。

そう思うしか心を落ち着かせる方法はなかった。

しかし少しでも長く旅を続けるために節約している身としてはやはり痛い出費だった。

この先もこういうことが起こるかもしれない、その時は焦らずに……

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